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仁王門改修保全事業にご支援よろしくお願い致します。

更新日:2月7日





私は、熊本市西区花園の本妙寺で、第41代の住職を務めております、池上 正示(いけがみ しょうじ)と申します。

本妙寺は「南無妙法蓮華経」の御題目に帰依する日蓮宗の寺院で、今から400年以上前の天正13年(1585年)に、豊臣秀吉公に仕えていた加藤清正公が、公が幼い頃に亡くなられた父君、清忠公の追善供養のために、23歳の頃に、現在の大阪府に建立した小さなお寺が始まりでした。


加藤清正公御肖像


やがて清正公は、肥後の国(現在の熊本県)の北半分を治める大名に抜擢され、本妙寺も肥後の国に移り、清正公は戦国の騒乱で荒れ果てた肥後の国を立て直し、領民の暮らしが成り立つように心を砕きました。また天下人、秀吉公の忠臣として、文禄・慶長の役で勇戦し、後世に虎退治の武名を轟かせ、秀吉公歿後の関ヶ原の戦いでは、西軍に就いて敗れた小西行長公の領地を併せ、肥後一国の大名となり、本妙寺は清正公の推挙で勅願道場の綸旨を賜りました。




清正公の歿後、加藤家を継いだ忠広公は江戸幕府により改易の憂き目に遭いましたが、本妙寺は新たに肥後の大名となった細川家の庇護を得て存続し、また、

御題目を熱烈に信仰し、民を慈しんだが故に庶民の信仰を集めた清正公が神格化されるにつれ、本妙寺は加藤家の菩提寺から、「清正公さん」(せいしょこさん)をお祀りする寺に発展し、おかげ様で今日まで、その命脈を保っております。



大本堂 後陽成天皇勅願之道場

その本妙寺の参道入り口に建つ総門が、鉄筋コンクリート製の「仁王門」です。

今年、2021年に築101年目を迎え、平成22年(2010年)の補修工事の翌年に、国の登録有形文化財に指定されましたが、平成28年(2016年)4月の熊本地震で、倒壊は免れたものの内部の損壊が著しく、現在も立ち入り禁止の状態が続いています。





 この仁王門を建立したのは大正時代、当時はまだ珍しかった鉄筋コンクリートの技術を用い、九州一円で護岸工事や橋梁架設、建築を請け負っていた小林組の棟梁、小林徳一郎氏でした。

 小林氏は明治3年(1870年)、出雲の名家に生まれましたが、明治維新で生家が没落、九州に渡り、無頼の生活を送っていました。ある日、予てから敵と狙う男が大の清正公信者で、毎年7月23日の夜、清正公の御遺徳に感謝を捧げる本妙寺の大祭、頓写会に参詣すると聞きつけて、匕首を懐に本妙寺に駆け付けました。明治38年(1905)年のことと伝えられています。 喧嘩を売りに本妙寺に乗り込んだ小林氏でしたが、相手の男に諭され、また、読経の声と信徒たちの御題目、団扇太鼓が鳴り響く荘厳な頓写会の雰囲気に圧倒された小林氏は、喧嘩相手と和解し、親友となり、熱心な清正公と御題目の信者となりました。生活も改まり、正業に励むようになり、やがて小倉を拠点とした小林組の棟梁となり、23日の月縁日の度に、本妙寺に参詣しました。

 そして、親友の死を契機に大正8年(1919年)、小林氏は誓願を立てます。「今日の私があるのは、御題目の教えと、清正公と、本妙寺、そして、私を信仰に導いてくれた友のおかげだ。ご恩返しに、鉄筋コンクリート製の総門を建立して、本妙寺に寄進したい」

 この申し出を、大正時代に相応しい進取の気概に富んだ当時の本妙寺住職、第34代一本院日柱上人は歓迎し、ここに、当時最先端の鉄筋コンクリート技術を活用した、小林組による総門建立寄進工事が大正8年9月に始まりました。




 工事はミキサー車やクレーン車がない時代、おびただしい人力と、現在の金額に換算して、約1億円の経費を費やして、大正9年(1920年)3月に完成しました。正面の桁行が13.21メートル。奥行6.36メートル。高さ約15メートル。正面には皇族、久邇宮邦彦王の筆になる本妙寺の山号「発星山」を刻んだコンクリート製の扁額を戴き、楼上には仁王像と、狛犬ならぬつがいのライオン像を仰ぐという、当時としては斬新壮大な建築物で、「仁王門」とよばれたこの総門は、熊本市の新名所となり、当時の絵葉書がその面影を伝えています。



 小林徳一郎氏はその後、本妙寺の名誉信徒総代に推薦され、旧小倉市には顕彰会が設立される等、人助けや寄付に尽力した人柄が敬愛されて、昭和31年(1956年)、86歳で大往生を遂げました。

刮目すべきは、仁王門が建立された前後の大正7年~9年の冬は、日本でスペイン風邪が大流行し、熊本でも数千人が命を落とした時代だったということです。そのような中、人力を駆使して巨大プロジェクトを完成させた小林氏の指導力と人望、その下で、こころを一つにして励んだ人々の尽力には、1世紀を隔てても、頭が下がるばかりです。

平成22年(2010年)清正公400遠忌の記念事業として、築90年の仁王門の補修工事が行われましたが、その時現場の方々は、小林組の緻密な工事に、改めて驚嘆したと聞きました

その仁王門が熊本地震で損壊し、現在も立ち入り禁止、通行止めが続いています。



仁王門が通行止めでは、毎年、7月23日の頓写会の夜、熊本市の夏の風物詩を彩った夜店が出店できません。花園校区の地域の催しとして定着していた「本妙寺桜灯篭」の会場としても、たいへん不便になり、熊本県日蓮宗青年会が盛り上げてきた「寺フェス」も、本妙寺を会場としての開催が難しくなりました。



そして何より、仁王門は本妙寺の総門であると同時に、公道に設置されていますので、通行止めは、近隣住民の方々にご迷惑をおかけしたままということです。そして最も恐ろしいのは、次に熊本地震と同じ規模の地震が発生した場合、今度こそ倒壊の危険性があるという、専門家からの指摘でした。

仁王門の周辺には、人家や特養施設があります。改修保全工事にかかる経費は、当初、数億円という試算もありましたので、本妙寺は「解体撤去」という苦渋の決断も、選択肢に考えました。小林徳一郎氏には申し訳ありませんが、もし、仁王門が倒壊して、人身が損なわれるような事態になれば、それこそ清正公にも小林徳一郎氏にも、顔向けができないと考えました。が、解体撤去も困難でした。仁王門は人家ではないので公費解体の対象とはならず、細かい作業での解体撤去には、約2500万円を要するという試算が出ました。檀家を持たない本妙寺には、単独でその経費を賄う資産はなく、御寄付を募ろうにも、「解体撤去のために」では、説得力がありません。

が、仁王門をこのままで置いてはおけない…。途方に暮れておりますと、日頃、仁王門の文化財としての価値を熟知し、助言や指導をいただいている識者の方々から、今回も、貴重な助言をいただきました。それによると、

仁王門を「有形登録文化財」としての価値を維持して改修・保全するのであれば、文化庁や地方公共団体からの支援を得られ、震災復興基金からも補助金が出る。という朗報でした。重ねて、宗教法人を管轄する、熊本県の私学文書課を通じて、国が熊本地震の特例措置として定めた、被災した宗教法人の復興のための寄付に、税制上の優遇措置を認める指定寄付金制度の活用についての打診があり、私たちはそれ等全てを活用して、仁王門改修保全事業に取り組むことといたしました。

最終的な試算によれば、改修保全事業にかかる経費は約2億5千400万円。それからあらゆる補助金を差し引いた約8千500万円を、本妙寺は用意する必要があります。先述しましたように、檀家を持たない本妙寺は、この金額を、皆様にご支援をお願いして、その浄財を以て賄う以外にありません。そして、この改修保全事業を成功させて、再び仁王門を通行可能にし、安全を保つ以外に、仁王門の所有者としての責任を果たす選択肢はないのです。どうか、この点にご理解をたまわり、ご支援の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

最後に、改修保全事業を志した、もう一つの理由をお話しします。それは、近隣地域の皆様方の応援でした。

仁王門をどうすべきか? 気持ちが揺れ動いている時、多くの住民の方々から、「幼い頃から親しんで来た、仁王門をぜひ遺してほしい」というご要望を承りました。戦災にも熊本地震にも負けず、1世紀にわたって建ち続けている仁王門は、既に地域のシンボルであり、地域の方々のこころの拠り所となっていたのでした。改修保全事業の決意を自治会の会合で発表させていただいた時には、万雷の拍手をいただきました。「新幹線の車窓から見える仁王門は、地域の誇り」とまで、仰った方もいました。

貴重な産業文化遺産であり、地域のシンボルであり、1世紀の歴史の証人であり、大正の風雲児小林徳一郎が、清正公と御題目への感謝の気持ちを込めて建立した仁王門。これは、熊本城にも劣らない私たちの公共財だと信じます。これを、さらによい形で後世に伝えることは、後世への使命であるとも確信します。本妙寺はこの事業に、背水の陣で臨み、不退転の覚悟で取り組む所存です。皆様方のご支援ご協力を、重ねて何卒、よろしくお願い申し上げます。       合掌。






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