本妙寺仁王門改修保全工事についてのお願い

 

合掌

 盛夏の候

皆様方におかれましては 世界人類の幸福と社会福祉の向上のためのご精進

こころより敬意を表したく存じます

 ところで 甚だ唐突なる御陳情を言上いたします段 

何卒おゆるし下さいませ

 今年竣工百年を迎えます 大正時代の鉄筋コンクリート技術の粋を凝らして 北九州の大実業家 小林徳一郎氏が建立寄進いたしました 私ども本妙寺の

仁王門は 四年前の熊本地震により 現在大復旧がすすんでおります熊本城と同じく大きな損壊を被り 年を経つつもその復旧には手付かずの状態で 

往時の熊本城飯田丸櫓と同じく やっと建っていると申しましても 

過言ではありません

 この仁王門は本妙寺参道の入り口に聳える総門であり 地域住民にとっては 熊本城とも一体の風景として 風化することなくその存在を

記憶に留めるものであり 熊本県民にとって忘れることができず 

日本国民としても忘れてはならないハンセン病の歴史や空襲の記憶とも密接な国の登録有形文化財であります また このままの状態が続けば もし 再び巨大地震が郷土を襲うような事態が発生した場合 今度こそ崩落倒壊の

危険性があり 甚大な被害が予想されます

 故に私ども関係者は 数回の会議を経て 困難な途ながらも仁王門を

改修保全するという結論に達しました そこで先ず熊本県 熊本市へ

関係書類を提出し 財政支援が可能か否かも含めてご検討いただいたところ

幸いにして国の文化庁の見解も 文化財としての価値を維持した上での

改修保全ならば ご支援の意向であることが分かり 見積書等を

提出いたしました。

 その見積もりによれば 改修保全に必要な経費は約三億円 その中で

本妙寺の負担は約三割 およそ九千万円の資金が必要ということが

判明いたしました。そのため 零細な本妙寺といたしましては この負担分を 有志の皆様方のご厚情にお願いして募金させていただき 改修保全に

着手したいと考え 熊本県最大の経済団体である

熊本県商工会議所様 熊本県経済同友会様に その旨ご相談申し上げる準備を進めてまいりました

が 郷土熊本は震災後の厳しい状況下であり また世界的な被害をもたらす

コロナ禍も発生いたしまして 経済団体の方々への陳情は どうしても

ためらわざるを得ない時勢となってしまいました そのような折に

日本財団様が熊本城再建のため多大なるご尽力をされておられるとのことを

承り 熊本城と本妙寺は 共に現在の熊本県の基礎を築いた

加藤清正公が創建され 本妙寺は清正公をお祀りする寺院であることから

多くの市民県民の皆様から 熊本城とは一体の存在として親しまれて

来ましたことをご賢察いただきまして ご支援をお願いする次第でございます内外ともに困難な状況でありますことは重々承知しております 

そのような折に唐突に失礼な陳情を申し上げます段 ご寛恕を請いながら 

本妙寺仁王門が貴重な文化財であり 産業文化遺産であり 

モニュメントとして地域社会の記憶を引き継ぐ史跡としての真価を

何卒ご理解たまわり 熊本城同様のご支援をたまわれば幸甚に存じます

何卒宜しくお願い申し上げます

再拝

月吉日

 

加藤清正公と本妙寺の文化遺産を守る会

会長 中山峰男

宗教法人本妙寺代表役員 池上正示

 

 

 

      様

 加藤清正公と本妙寺の歴史(200727現在)

 

1562年(永禄5年) 加藤清正公誕生。

1585年(天正13年)清正公、摂津(大阪府)に本妙寺建立。開山日真上人。

1588年(天正16年)清正公、肥後(熊本県)北半分の領主となる。

1591年(天正19年)この頃清正公、本妙寺を旧熊本城内に移す。

1592年(文禄元年) 文禄の役(第1次朝鮮出兵)

1597年(慶長2年) 慶長の役(第2次朝鮮出兵)

1600年(慶長5年) 関ヶ原の戦い。清正公、肥後一国の大名となる。

1605年(慶長10年)本妙寺、後陽成天皇より勅願道場の綸旨を下される。

1607年(慶長12年)熊本城完成。

1611年(慶長16年)3月、二条城会見。旧暦6月24日、清正公、熊本城内で卒去。遺言により中尾山(現本妙寺山)に埋葬。

 

1613年(慶長18年)清正公の三回忌に本妙寺の全僧侶が一夜で法華経全巻を書写して清正公の墓前に供え、これが「頓写会」の始まりとなる。

1614年(慶長19年)熊本城内の本妙寺が焼失し、第3世日遙上人の建議で本妙寺は中尾山に移築され、名実ともに加藤家の菩提寺となる。落慶遷仏会は1616年(元和2年)

1632年(寛永9年) 加藤家改易。肥後に細川忠利侯入国。本妙寺は存続。

1710年(宝永7年) 清正公100回忌

1810年(文化7年) 清正公200遠忌

1860年(万延元年) 清正公250遠忌(祭礼は前年、安政6年から)

1867年(慶応3年) 大政奉還。その後、本妙寺は「廃仏毀釈」で衰微。

1877年(明治10年)西南戦争で大本堂焼失。明治37年再建。

1894年(明治27年)日清戦争。清正公は武運の神として崇敬を集める。

1904年(明治37年)日露戦争

1910年(明治43年)清正公300遠忌(祭礼は前年から)。大逆事件。韓国併合。この頃、本妙寺宝物館開館。住職は34世、一本院日柱(金崎惠厚)

1919年(大正8年)小林徳一郎氏が仁王門を建立。竣工は翌1920年。住職は一本院日柱

1923年(大正12年)関東大震災

1931年(昭和6年)満州事変。

1935年(昭和10年)清正公325遠忌を記念し、本妙寺山に清正公銅像を建立。

北村西望氏制作、住職は36世、一雨院日等(塩出孝潤)。

1937年(昭和12年)日中戦争。翌38年、国家総動員法公布。

1940年(昭和15年)7月9日、本妙寺事件。本妙寺周辺に住んでいた多数の

ハンセン病患者が菊池恵楓園に強制収容される。

1941年(昭和16年)太平洋戦争始まる。

1944年(昭和19年)戦争の激化により清正公銅像は金属供出。

1945年(昭和20年)7月1日~2日、熊本大空襲。8月15日、敗戦。

1953年(昭和28年)6月26日、6・26水害。

1959年(昭和34年)熊本市市制施行70周年。

1960年(昭和35年)清正公350遠忌を記念し、銅像再建。寄進者は㈱間組、神部満之助社長。制作者は北村西望氏。住職は39世、玄振院日正(池上義豊)。熊本市市制70周年記念事業として、熊本城天守閣再建。

1979年(昭和54年)本妙寺宝物館を寺務所隣に移転新築。熊本県立美術館による「本妙寺歴史資料調査」が開始され、1981年(昭和56年)に、報告書(「古文書篇」「美術工芸品篇」)を刊行。

住職は40世、池上尊義。

2007年(平成19年)熊本城築城400年。記念事業として翌年、本丸御殿復元。

2008年(平成20年)「加藤清正公と本妙寺の文化遺産を守る会」発足。

2010年(平成22年)清正公400遠忌。記念事業として仁王門を改修。鶴屋

百貨店で「加藤清正と本妙寺の至宝展」を9月に開催。図録を刊行。

2011年(平成23年)清正公生誕450年。7月、仁王門が文部科学大臣より、有形文化財に登録される。

2012年(平成24年)本妙寺宝物館改修事業計画が発足。所蔵文化財を熊本県立美術館に一時寄託し、宝物館は閉館。

2014年(平成26年)宝物館改修が収蔵庫を中心に完了。熊本県立美術館に寄託中の、桃山時代の漆器類12点が、「蒔絵調度類」として、国の重要文化財に指定される。

2015年(平成27年)県立美術館に寄託していた所蔵文化財が本妙寺に返還。

2016年(平成28年)熊本県立美術館・熊本市立博物館・八代市立博物館の支援の下、4月25日に、「本妙寺宝物館」を「本妙寺加藤清正公記念館」と改称し、再開を決定。

 

4月14・16日に熊本地震発生。「記念館」は、所蔵文化財の被災は免れたものの、施設が損壊。再開延期。他に玉垣・石灯篭、特に仁王門に甚大な損壊が認められ、仁王門は立ち入りが禁止される。

 

16日の本震で清正公銅像の槍の穂が崩落、7月に㈱安藤間の奉納工事で修復。

 

11月~12月、熊本市「肥後の里山ギャラリー」で、『本妙寺展「加藤清正と本妙寺」』。

11月19日㈯「熊本地震本妙寺復興祈念チャリティーコンサート」開催。

2017年(平成29年)4月8日~30日、くまもと県民交流館パレアとの共催で、本妙寺桜灯籠実行委員会の協力を得て、パレア・アクシア企画展会場で『桜灯籠と本妙寺展』を開催し、桜灯籠ポスター・竹灯篭・和紙灯籠とともに、震災後の本妙寺の現状をパネル展示。

 

4月、東京、日本橋高島屋での『熊本復興祈念展「熊本城と加藤清正・細川家ゆかりの品々」』に、所蔵文化財を出展。

7月、熊本市教育委員会より、記念館再開のための「熊本市私立博物館等復旧事業費補助金交付」活用の案内。有識者による「仁王門保存検討委員会」が発足し、7月31日、「守る会」と合同会議。文化庁の支援により、㈱文化財構造計画が、仁王門の破損状況の調査を開始。

 

2018年(平成30年)本妙寺所蔵文化財「安南国大都統官阮潢書簡 加藤清正宛」2通(旧、重要美術品)が、国の重要文化財(歴史資料の部)に指定され、4月17日~5月6日、東京国立博物館に展示。記念館は「熊本市私立博物館等復旧事業費補助金交付」活用による改修工事計画をまとめ、熊本市に申請。

 

2月5日、第2回「仁王門保存検討委員会」合同会議を開催し、㈱文化財構造計画より、仁王門の破損状況と、改修・再建の方法について報告。

 

5月10日にも、本妙寺職員への現状報告がなされる。

6月24日、「守る会」第7回総会の際、㈱文化財構造計画の冨永善啓代表取締役を講師に、基調講演「仁王門の現状」を開催。

 

仁王門改修に際しては、県私学振興課より「平成28年熊本地震で被災した宗教法人に係る指定寄附金制度」の活用の案内を受けていたが、8月に実施された、文化庁による「平成28年度熊本地震における宗教法人の復興状況に関する調査」以降、それが具体化し、現在、指定寄附金制度の活用申請を準備中。

4月28日、演劇集団「ゼーロンの会」による、本妙寺復興奉納祈念「オイディプス王」公演。

10月4日、福岡在住の伊藤直枝氏が、合同会社「花乱社」スタッフと共に、本妙寺所蔵、桃山時代の「南蛮服・ジバン」を撮影。今年度中に花乱社から出版予定の、伊藤直枝氏著『清正公の南蛮服―大航海時代に渡来した一枚のシャツの物語―』に掲載予定。

2019年(平成31年)4月24日、第40世住職池上尊義上人遷化。世寿88歳。5月1日「令和」に改元。12月、仁王門改修工事での指定寄付金制度の活用を申請。

2020年(令和2年)文化庁より指定寄付金制度を活用した仁王門改修工事計画の認可を得、寄付金の募集を開始。

この年、仁王門竣工100年。7月23日、清正公410年報恩頓写会法要を厳修。

 

 

本妙寺所蔵の指定文化財

 

1.国指定重要文化財

 ①日本紀竟宴和歌 上・下巻 鎌倉時代

 ②短刀 銘 光世 蝋色鞘合口拵 *短刀は鎌倉時代の作。肥後細川家10代藩主細川斉茲(なりしげ)侯が、1823年(文政6年)に、本妙寺に奉納したもの。

 ③蒔絵調度類 *桃山時代に制作された桐桔梗折墨紋蒔絵・菊桐紋蒔絵の漆器類12点。

 ④安南国大都統官阮潢書簡 加藤清正宛 2通

 

2.熊本県指定重要文化財

 ①短刀 銘 備州長船祐定作 網代鞘合口拵(清正拵)*短刀は室町時代の作。清正公が二条城会見の時、所持したと伝えられる。

 ②刀  銘 九州肥後同田貫藤原正国 肥後打刀拵 *刀は桃山時代の作。

 

3.文部科学省登録有形文化財

 ①本妙寺仁王門

 

本妙寺(日蓮宗) 〒860-0072熊本市西区花園4‐13‐1 

☎096‐354-1411 Fax096-356-8110  http://honmyouji.jp/

肥後 本妙寺 の特徴について

  1. 加藤清正公の菩提寺

  2. 清正公のお墓を守るお寺

  3. 大本堂は後陽成天皇勅願之道場

  4. 清正公の父君を弔うために建立されたお寺

  5. 最初大阪 ➡ 熊本城内に移転 ➡ 清正公没後お墓のある現在地に移転

  6. 檀家を持たない純粋に 加藤清正公のお寺である

  7. 加藤家改易にあたっても細川公により清正公時代と同じ待遇を有した。

  8.  

 

 

本妙寺のお祭り

本妙寺頓写会

清正公の師匠でもある開山發星院日眞上人の愛弟子であり、朝鮮の出身である第三祖高麗日遙上人は、清正公第三回忌に当り、公の追善菩提のために 頓写会(とんしゃえ)を起された。即ち法華経一部八巻二十八品、六万九千三百八十四文字を一日一夜のうちに、各僧分担して書写する法会であり、今なお当山の年中行事の最大のものとして、七月二十二日より二十四日までの三日間盛大な大法要が執行され、遠近からの参詣者で賑わっている。

 

 

 

 

 

 

桜灯籠

2002年(平成14年)

チラシに使われている写真は前年に御廟所近くの廣島屋さん周辺で崇城大学の学生さんが試験的に行った時の様子です。

ポスターチラシ案内より
『今月3月30日(土)午後7時より11時まで、本妙寺の石灯籠の階段と参道の一部を利用して、『本妙寺 桜灯籠』というまつりを行うことになりました。 480基の石灯籠に火をつけまして,石灯籠自体をライトアップいたします。また、和紙で作りました灯籠を2000個、参道の仁王像のある場所から階段の上まで並べ、仁王像奥の参道の桜の木につるします。 また、7時半から9時まで琵琶や尺八や琴などの演奏も行う予定にしています。この新しいまつりの提案は、もとは、崇城大学工学部建築学科の学生によるまちづくり」への提案から端を発したものです。この提案に対して、「花園校区まちづくり研究会」や地元のまちづくりに関心のある人々が興味を持ちまして、これからの「まちづくり」のきっかけとして、今年は崇城大学が中心的実行部隊となって、有志の人々とともに、試行的に行ってみようということになりました。和紙と石の灯りの中で、散りゆく桜を背景に琵琶の音が聞こえてくる、そんなお花見に来てみませんか。』

参道に灯ろうの明かり 

熊本市本妙寺 

崇城大と地元がまつり 

熊本日日新聞 平成14年4月1日(月曜日)新聞記事より

 

『まつりをまちづくりに生かそうと、熊本市花園の本妙寺参道に2300個の灯ろうを並べ住民たちの集いの場をつくる「本妙寺・桜灯籠=(はなとうろう)」(仮称)が、30日夜あった。「崇城大学上熊本まちづくり委員会」と、地元住民でつくる「花園校区まちづくり研究会」が協力し初めて開いた。 同委員会は大学内の「まちづくり」に取り組む研究会などが連携を目指して発足。今回は工学部建築科の学生11人が中心になり、歴史的、観光的に重要で、住民らに親しまれている「本妙寺」を活用しようと企画。2月下旬、住民たちに桜の時期に合わせてまつりの開催を提案した。 学生たちは、仁王門から清正公御廟所までの参道(約270メートル)のライトアップを発案。住民たちと一緒に、既設の石灯ろう480基に加え参道脇に手づくりの和紙灯ろう1800個を並べ、明かりをともした。費用の約20万円は研究費でまかなった。夜は、参道に延々と続く灯ろうの明かりに満開の桜が映し出され、訪れた住民たちは幻想的なムードの中、花見や琵琶などの演奏会を楽しんだ。   建築科3年の佐藤直樹さん(21)は自分の出したアイデアが実現して感激した。基本はお金をかけないまちづくり」と手応えを感じた様子。     一方、研究会の佐々野松也事務局長(57)は「今回は学生が主体にやってくれたが、まつりが定着するには地域が主体にならなければならない。今後、住民たちにも働き掛けたい」と話す。    まつりの指導にあたった同大学の内丸恵一講師は「上熊本地区のまちづくりのきっかけにしたいと思い、試行的にやってみた。住民の人の反応も良く、来年からは規模を拡大してやりたい」と話している。』